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自分はいつでも主人公

「まちがったっていいじゃないか」より

2000年度 鳴和中学校 3年6組 学級通信「energeia」
第121号(2000.11.29発行)

 さあ,明日から期末試験。充実した取り組みをやっているかな?
 今日は忙しい君たちに変わって一つ本を紹介しよう。きっと忙しくて忙しくて,マンガ読むひまもなければ,テレビ見るひまもなければ,ぐーたらするひまさえないだろう。(一応担任の予想)そこで,一つ紹介。森毅(もり・つよし)という人の「まちがったっていいじゃないか」という本だ。と言っても,この本5月に一回紹介した。「友人たちと」という一文だ。もう覚えてないかな?もとは単行本として出ていたものだが,今は筑摩書房よりちくま文庫として刊行されている。たったの500円。それで数時間持つのだから,本って安いよね。
 この森毅という人は京都大学の名誉教授。しかも数学の。この本を書いた頃は教授で現役の数学の先生だった。数学の先生でありながら教育や文化についていろいろな本を書いている。書評もたくさんしている。そしてこのような中学生向けの本も書いている。退職後はテレビに出たりコマーシャルに出演したりとどちらかというと変な,いや個性的な人です。
 今日はこの本の中の一部分を紹介しよう。第18章の「君自身のドラマ」という中の一節だ。全部で18章あり,たとえば「受験戦争をこえて」とか「男と女の間」とか「ドジ人間のために」などという章がある。
 ついでだからこの文庫本の赤木かん子さんの解説をそのまま載せてみた。
 気が向けば,気に入ったら,興味をもったら本屋で買って読んでみるのもいいだろう。なかなか面白いと思うよ。君たちも高校生になったらいやというほど本を読もう。もう暇な時間は人生にはそうないぞ。

自分はいつでも主人公
 生きていく上で,楽しいことかあったり,くやしいことがあったりする。それらがまざりあって,人生をつくる。それは,ひとつのドラマだ。
 このドラマにあって,主人公はきみしかいない。だれも,代役はない。そして,一見はつまらなさそうな場面でさえ,このドラマの主人公はきみであって,はでにふるまっている他人ではない。きみだけが,ドラマの主人公なのだ。
 もっとも,ドラマというには,ハッピーエンドがない。死がドラマを中断する。それでも,生きているかぎり,このドラマを見つづける観客も,これまた,きみだけだ。
 してみると,生きているかぎり,この自分自身のドラマを,楽しんでみようじゃないか。たいして波乱がなくても,ときにはみじめな気持ちになることがあっても,それがきみにとってのドラマなのだ。ときに,観客の立場に身をうつすのは,よいことだ。みじめな気持ちになったときなど,気が晴れることもある。みじめな自分をいとおしんで,自分で自分に涙するのも,またいい。そうした涙が,次の幕へきみをみちびくこともある。
 なにかにムキになっているとき,その自分を眺める観客の目を持つのも,おもしろい。少し喜劇的だななどと,自分を眺めながら進むのも,悪くない。
 とくに,イヤなことのあるときは,自分をドラマのなかで眺めるのは,救いになる。イヤなことでも,眺めるぶんには,それを楽しむことすらできる。
 ときには,自分に向けての役者として,演技をしちゃったりしてもよい。楽しいのも,くやしいのも,演技にしてしまえば,笑うのだって泣くのだって,あまり遠慮がいらない。観客としての自分を楽しますため,ときには道化てみるのもよい。人生をプレイする精神は,とてもよいものだ。
 でも,これがきみだけのドラマであるからには,役者であれ観客であれ,途中でなげるわけにはいかない。いつでも,きみのドラマにたいして誠実であるよりない。人間というものは,どんなときでも,自分にたいしてだけは,誠実であるべきだ。
 本当は,生まれたときから,このドラマは始まってしまっていたのだが,それが,きみに固有のドラであることに気づきはじめるのは,たふんきみたちの年ごろからが,多いだろう。舞台には,いろいろとやっかいな道具だてがあったり,芝居の筋がまがりくねっていたりもするが,それらが,きみのドラマのために用意されている,と思うようになれるのは,きみたちの年齢からだろう。
 ここで,どんなときでも,他人が主人公だと思ってはいけない。きみのドラマにあって,きみ以外の他人を,主人公にはできない。きみの人生を生きるのは,きみしかいないからだ。
 だから,きみの人生は,きみにとってだけ,すばらしい。そして,きみにとってすばらしいものは,きみのこの人生だけであって,他人のたどるような人生ではない。きみだけが,この人生を生きることができるのだ。
 きみのドラマにとって,他人たちは,みな脇役だ。敵役めいた連中だって,きみのドラマを成立させるために,奉仕しているのだ。どんな場面にしろ,きみがぞんぶんにプレイできるよう,用意された舞台だ。このドラマでは,すべてが,きみのためにある。
 きみ自身以外にも,他人という観客がいるかもしれないが,彼らは通りすぎていく。だれよりも,自分という観客に向かって,満足のいくプレイを見せてやらねばならない。他人が拍手しようが口笛を吹こうが,きみにとって大事な観客は,これまた,きみ自身だ。他人に満足させるより,きみ自身に満足させることが大事だ。どんなときでも,自分という観客に見られていることだけは,忘れないほうがよい。
 そして,このドラマが,ほかのだれでもない,自分だけのために用意されていることだけは,なによりも大事にしたい。それより大事なことなんて,ぼくには考えられない。
 そうした自分の大事さを信ずることが,自信というものだと思う。才能とか財産とか経歴とか,そんなものがなにもなくても,はだかの自分自身,その自分がほかのだれでもない自分で,自分のドラマの主人公であることを信ずるのが,本当の自信だと思う。そしてだれでも,自分だけは信ずることができる。
 そして,自分にとって,このドラマはすばらしい。だれにとっても,どんな場面であろうとも,自分が生きていくということは,他のなによりも,すばらしい。それが,人間が生きていく,ということだ。

(文庫本の赤木かん子さんの解説は省略)

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