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道徳の時間って何の時間?

 1991年度 医王山中学校 1年1組 学級通信「Visage」第7号(1991.4.10発行)

 今日は第1回目の道徳の時間。
 そこで,これから1年間,君たちとつきあっていく担任として,道徳の時間は何の時間なのか,どんなお話をしていくのかをまず言っておこう。
 小学校の時にも道徳の時間はあって,いろいろなお話を聞いてきたと思うのだけど,中学校のこの時間,特にこのクラスでは,どんなお話を聞き,何について考えることになるのかを言っておこう。
 それは,一言で言って,「人間として,一人ひとりがどんなことをしていけばいいのかを考えていくこと」の時間だね。
 これはとっても難しくて,一人ひとりがちゃんと人間としてやることをして,お互いのことを考えていれば,この世の中はもっと平和で,暴力もなければ,殺人もない,戦争もない世の中になっているはずなんだけれども,そうはなっていないからこそ,こんな時間があるのかな? そこで,この時間では,そんなに広く,世の中のことまで考えていくことができないかも知れないけど,とにかく,身近なことから始まって,君たち一人ひとりが素敵な仲間をつくっていくことができるようにと,いろいろなお話をしていき,君たちは一人ひとりが考えていく時間になる。
 取り上げられるテーマはその時その時でいろいろだけれども,これまで先生のクラスで出てきたテーマには,次のようなのがあった。

 いじめのこと
 そうじのこと
 友達とのつきあいのこと
 恋のこと
 戦争と平和のこと
 将来の職業のこと
 働く人のこと
 おもしろいことやってる学校のこと

 そのほかにも今すぐ出てこないけど,いろいろなテーマでお話があり,いろいろなテーマで一人ひとりが考えた。
 君たちは中学1年生だ。中学1年生として考えられることがある。これからいっぱいのことを考えていこう。

 ということで,今日第1回目は,手始めに仲間づくりの中で大切なこと「いじめをしない。」ということから……
 一昨年僕の持っていたクラスでは,つまらないいじめはなかった。
 3年生だし,やっぱりしっかりとものを考えられるようになっていたというか,大人に近づいていたというか,みんな仲良く何にでも取り組んでいた。だから賞状なんか19枚もとったのだ。去年は1年生。このクラスでも大丈夫だった。
 みんな何にでもがんばって,賞状を21枚もとってくるという,全校一の元気なクラスだった。
 でも1年生のクラスって,よくいじめがあるのさ。
 それは,一人ひとりがまだ子どもだからかな。
 君たちはどうかな。
 このクラスの中のことについては,まだよくわかっていないけど,君たちは大丈夫かな?
 いじめというのはこういうことだ。

 「集団の中でつまりたくさんの人間の中で
  特定の人間に対して,誰かだけを特に
  意識的にわざと
  肉体的苦痛や,たとえば
         たたいたり,なぐったり,けったり
  精神的苦痛を,たとえば
         無視したり,物をかくしたり,
         陰で悪口言ったり,はやし立てたり
  与えること。」

 ということだね。
 これがあると,クラスはだめになってしまう。
 みんなが仲良くできないのだから。
 だからいつも言っている。
 「別に,誰かと一緒に遊べとか,一緒に話をしろなんて言わない。仲のよい友達になれなんて言わない。でもこれだけは言うよ,ただかまわずにいなさい。それは,無視をしろというのではなく,自分は自分の友達と遊んでいればいい。他の人に特別なことをしなくていい。特別な意識で,のけ者にする必要はない。」
 今の君たちは大丈夫かな?
 それからもう一つこうも言っている。
 「弱いものいじめは,弱いものの弱さなのだ。」
 弱いものいじめをする者に限って,その人の心の中は弱いものだ。
 もしも強い人ならそんなことをしているはずがない。
 もっとほかの有意義なことをして,楽しく生活しているはずだ。
 そんなことしなくても,十分日々の生活をして,友達と楽しくやったり,スポーツやったり,遊んだりしているはずだ。そういうふうにできない人に限って,自分より弱い者を見つけて,その人をいじめることで,かろうじてくだらない喜びを感じている。そんな者が君のまわりにいないかい?
 いなければそれでいいのだけれども,いたとしたら忠告してあげなさい。
 「大人になったら,後悔するだけだよ。」って。

 ということで,クラスづくりの第1は,まずいじめのないクラスから。
 これから先,またこの問題について考えてみよう。
 今日は,その昔に持ったクラスの子たちの書いた作文を紹介しよう。
 君はどう思う?

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