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 アンコールトムに行く
		アンコールトムに行く 
	
		
		
		 アンコールトムでは,まずは,南大門へ。
		 車を降りるとすぐに現地民が絵葉書やガイドブックを持って寄ってきます。(すべて無視したけど……)
		(左・南大門入り口のところに並ぶ彫像。)
		
		 それから寺院のバイヨンへ。
		 様々な大きさの石を積んで建てられているので,歩きにくいし,いつ壊れてもおかしくなさそうでした。
		(左・バイヨンの中央本殿を後ろに見る。高さは約42mです。)
		
		(左・アンコールトムに刻まれているレリーフ。)
		 神話や伝説,戦闘や日常生活の一場面を表した彫刻が壁にたくさんされていました。
		 髭のあるのが中国人,こういう髪型のがクメール人というように細かかった。
		 
		
		(左・四面仏頭と向かい合ってみているところ。右・四面仏頭です。アンコールトムの時代はアンコールワットの時代のヒンズー教に代わり仏教が信仰されていました。この四面仏頭は観世音菩薩の顔で,慈悲が世界に届くように四面を向いているそうです。)
		 寺院の上にも登りました。
		 4面の大きな顔がたくさんありました。
		 顔だらけで不気味だったけど,逆にすごかった。
		 他にも,ライ王のテラスや像のテラスを歩いて回りました。
		 他にも,ライ王のテラスや像のテラスを歩いて回りました。
		(左・ライ王のテラスを歩き,ライ王の像の横に行く。これはレプリカだそうです。ライ王のテラスは王宮広場の西にあり,高さは約6mです。つまりここはかなり高いところで撮影しているということです。当時はここに大寺院が建設されていたということです。)
		
		(左・王宮前の広場に面した長さ350mの像のテラスです。柱になっているのが象の鼻です。東向きにつくられており,ここから勝利の門へ道路が延びています。)
		
		(左・後ろに見えるのがピミャナカス。これからピミャナカスに向かうところです。お土産売りの少年がさりげなく近づいてきています。ピミャナカスは王宮の中心にあるピラミッド型の寺院です。天上の宮殿とも呼ばれ,王族の儀式の場で,当時は一般の人々は近づくことができなかったそうです。)
		 ひたすら歩いたのでだいぶ疲れました。
		 その後は昼食へ。
		 カンボジア料理でした。
		 
		
		
		(左・お昼ご飯を食べたレストランの看板。)
		 ヤシの実の中にスープと魚が入ったものは,ちょっとピリ辛だったけどおいしかった。(上左の写真,ちなみにこのビールは「アンコールビール」で,カンボジアではいつも父が飲んでいたビール。)
		 焼きそば風の麺もおいしかった。(上右の写真)
		 菜っ葉の炒め物は大量すぎて食べきれなかった。(上右の写真)
		   それから,ホテルに行ってチェックインしました。
		 立派なホテルで,ガイドさんがチェックインしてくれるのを待っている間にジュースが出てきました。
		 それからあまりの早起きだったし,疲れたので,午後の出発までしばらく昼寝をしました。
	
		
		 
	
 シェムリアップの地名の由来
		
		シェムリアップの地名の由来
		 
	
		
		 シェムリアップをローマ文字で表記すると「Siem Reap」というように「シェム」と「リアップ」の2つに別れている。
		 そしてこの「Siem」というのが,昨年行ったタイはバンコクで「Siam Square」なんてところがあって,「あれ,スペルがよく似てるなあ。」と思ったのだった。このタイの「Siam」は「サヤーム」と発音していたが,その昔日本ではタイのことを「シャム」と言っていたのがこの「Siam」である。
		 日本人が「サヤーム」を「シャム」というように聞こえて,タイのことをシャムと言っていたのだ。
		 さて,なぜおとなりのカンボジアに「Siem」なんてつく町があるのだろうと日本を出るときには思っていたのだが,ガイドさんの話で納得してしまった。
		 つまりこのシェムリアップは以前はタイつまり「Siem」に占領されていたらしい。いつの時代だかカンボジアの王朝が「Siem」から取り返してカンボジアに戻った。
		 それが「Siem」に「Reap」がつく意味らしい。英語でも「Reap」という同じスペルの単語があり「刈り入れる,収穫する」という意味があるが,ガイドさんの話では「シャムから取り返した」という意味がある町らしいのだ。英語の意味で言うと「シャムが占領していた」という意味の方が近いのかもしれない。
		 ちなみにタイの「サヤーム」という発音より,カンボジアの「シェム」という方が日本で昔言っていた「シャム」に近い。
		 それにしても,東南アジアの国々も侵略や奪還(そしてそれはすなわち戦争)の歴史を繰り返しているのだなあと改めて思った次第。
	
 カンボジアの学校制度
		
		カンボジアの学校制度
		 
	
		
		 カンボジアの小学校は6年間。しかし,午前の部と午後の部というのがあるらしい。というのは給食もないし,おまけに設備もないので,同じ教室を午前は1年生,午後は2年生というように使うという説明をガイドさんがしてくれた。
		 しかも,教員の給料は安いので,子どもたちが学校に来なくても,特にそんなに気にとめないらしい。(給料の安さとどう関係あるのかはよくわからないけど)
		 また,シェムリアップの町には高校はなく,(高校は義務教育じゃない)高校へは別の町に行かなくてはならない。
		 ガイドさんは高校まで出たそうである。一体どこへ通っていたのか,聞いてみればよかったな。
		 ちなみに彼は高校を出てから日本語を勉強し,今21歳。日本語を勉強して3年たったということだったが,結構難しいことを知っている。
		 特に日本の歴史についてはカンボジアと対比させながら説明するのだけれども,こっちも何時代にどんなことがあったのかということを結構いい加減に覚えているので,ときには訂正させられることもあった。
		 また,ヒンズー教の神と仏教の仏の関係なんかもかなりいい加減な知識しかなくて,ヒンズー教の神がどのような名で仏教に取り込まれたのか,仏教徒でありながらわからない。
		 やはり,自国の歴史をしっかり学び,自国の文化を理解していることは大切なことだと痛感したのであった。
		 しかし,昼間からたくさんの子どもたちが,働いているし,おみやげを売りに来る。
		 半日だけであとは学校へ行くのかどうかはわからないが,とにかく日本なら学校へ行っているはずの時間帯に,子どもたちをいつでも目にする。
		 土産物屋でもしっかり働いているし,値引きの交渉をしている。たくましいというべきか。